幸せと不幸

なんなんでしょうねぇ。

前回のケンジロウさんのコメントであったように 確かに 猫 は幸せな状態で死んでいったのは間違いないでしょうね。

世間からつらい目にあっる時に助けてくれて、今まで感じたことのない感情を感じ、その人のために死ねた。

まさに聖なる騎士です。



ただ、これってそういう前提の元の話なんですよね。

たとえば、これが生まれた時からぬくぬくと愛情をうけてきた猫でしたら、
それが当たり前すぎて主人のために死のうとなんて思わないでしょう。


幸せ か 不幸せ かなんて、比較でしか感じることができないのです。


今より幸せになれば、幸せですし、不幸になれば不幸になる。

それは実体験に基づくことがほとんどですが、人の体験によることもある。


さらに、より不幸か、より幸せとか、その度合いは 比較によって生じる度合いなんです。


具体的な話をすると 1日4時間睡眠の人が、たまに7時間できたらそれは幸せなことでしょう。

でも、いつも7時間寝てる人にとってはそれは別に幸せではないです。

逆に7時間睡眠の人が4時間しか寝れない生活に陥ったら 不幸って感じるでしょうね。


まぁでもそれは人によるというもの。

結局、比較の基準となるのはその人次第。

回りが、自分もしくは平均と比較して、「不幸」と感じても その人にとっては「不幸」じゃないのかもしれない。


1日4時間睡眠以下の生活も、卒論の締め切りにともなって、そろそろ終りそうです。

あと10日間、ひたすら文献や資料、写真の整理や、データーの割出し、そして考察に追われてみます。

ただ、それを好きでやってる自分にとっては「不幸」ではなかったりしたり ね。