ごぜん にじー

ごぜんにーじー ごーぜんごーぜんごぜんにじー


死んだように帰って倒れて起きたら午前二時でした。

そういう時ってメガネが困ります。どこにはずしたかさっぱりなんで。

メガネがないとメガネ探せないという絶対矛盾。


タイトルで思い出したんでBUMPネタ

これの中でやたら持ち上げられる曲あるじゃないですか

「K」とかいう猫の話。

youtubeだとこれ

ナツカシのFLASHだとこれ

http://www.geocities.jp/azu0829/boc-k-9.swf

いやぁフラッシュ懐かしいですねぇ・・・・BUMPは特に全盛期大量に作られましたもんねぇ。


さて、これがよくわからない。

だって、誰が得するんですか?このシュチュエーション。


「彼」の勝手な行動で「彼」は死に

「彼」の勝手な行動で「猫」は死んでしまい

「彼」の勝手な行動で「彼女」は悲しむ。


そんな風にみんな不幸になったお話。

そんなにみんなを巻き込むなら普通に生きろよ

何が何でももがいて生きろよ と言いたい。


いや、「彼」の中に「彼女」に顔向けできない理由とかいろいろあったかもしれませんけど

もしかしたら、手紙もらった「彼女」は実はそれは喜ばしいことだったかもしれませんが

それでも、何が何でも生きるべき。まぁ歌の歌詞にここまで言っても仕方ないんですがねぇ。


こんな風に「死」を美化するのが気に食わない。

そりゃ「死」がかかわれば何でも[美談」に聞こえるんです。

最近の作品とか、死ぬこと前提が多すぎる気がする。

まぁ昔からと言えば昔からなんですが。。。

なんで「死」だと無条件に感動してしまうんでしょうねぇ。

いや、これは本当に感動・・・なんですかね?

何か別の感情が勝手に脳内で変換されてるだけ・・・なのかも。


冷静に見たら、

「だれだれが死んだ。その人にはこういう関係者があり、その人が死ぬまでにこういう経緯があった」

ってだけなんです。まぁ奇跡的に生き返るかもしれませんが。

その後に残るのは やっぱ感動・・・なのかなぁ。
誰か「感動」のメカニズムについて教えてください(無理


で、だらだらと何がいいたいのかといえば

なので自分は「火垂るの墓」は見ないです。

あんなの見て悲しくなるだけ・・・・ほんと誰が得するんだ と。


ああ、そだ。

別に 自分そういう物語に 感動しないわけじゃないんで。

というか感動しやすいタイプなんで。

だから余計にそういうのから逃げ出したいというか

無駄な 悲しみ、感情移入を避けたいって話なんです。

今回の「K」の動画とフラッシュ、輪唱状態になってましたがそれでも涙腺ゆるみましたし。