がんばるということ

決意表明としてここにひとつ書きたいです。


社会に出てみて思ったことは、社会って大学の頃に比べて楽だな、ということでした。

閑話休題

1日8時間の勤務だけで、0の状態から、経験者を追い抜いていけました。

その結果、他の同期と比べて仕事ができる自分がそこにはいました。

そして、そこまで達すると生まれてきた気持ちは

「既に他の同期の2倍の量の仕事こなしてるんだから、特にがんばらなくていいよね?」

でした。

閑話休題

会社側から昇格か降格かわからない処遇をうけることになりました。

そのせいで新しく覚えることが増えました。

勤務時間は常務でいっぱいだったんですが
「今の常務を2倍で終わらせるか、家でやればいいんじゃない?」と言われました。

さらに上の上司に相談したところ、家でやれるようにいろいろと手配してくれました。

でも、あまりやる気は起こりませんでした。

「家でやるって・・・仕事の一巻なのに。残業代とかでないんじゃやる気でない」

が本心でした。

閑話休題

今日、同じ大学からいっしょに東京に出てきた人にひさしぶりに会いました。

その人は大学院生で、あいかわらず大学の時と同じような生活を送ってました。

自分が最後の半年間そうだったような、ただがむしゃらに勉強する生活でした。

研究室で寝泊まりし、1日の3分の2以上を研究に費すそんな生活でした。

その人の生活の話を聞いた結果、社会人というものがいかに楽なのかを思い知らされました。

その人は4ヵ国語使えて、頭もいいですし、大学院の肩書もこれ以上ないので、すぐにでも一流会社や官僚クラスを狙えるような人材です。


でも、研究を続けると言っています。

研究は半分は趣味ですが、それでももう半分は苦痛といいます。

そして研究を続ける以上、その苦痛がいつまでも続くんだろうな、と自覚していました。


そして、ひたすら時間がないと言ってました。

大学生も大学院生も社会人より自由な時間の塊です。

しかしその自由な分、研究に使える時間も自分で決めます。

それなのに、1日16時間以上費してもなお、時間がないそうです。


むくわれるかわからない研究のためにひたすら勉強をしてました。

閑話休題

大学時代は自分もそうでした。

いい卒論を書く。社会に出てからまるで影響しないのに、
節目として、ほぼ自己満足のためにひたすら頑張ってました。


それを社会人になってやめてしまったので自分は楽になってました。


「既に他の同期の2倍の量の仕事こなしてるんだから、特にがんばらなくていいよね?」

と、勝手に限度を決めてしまったり

「家でやるって・・・仕事の一巻なのに。残業代とかでないんじゃやる気でない」

と、小さなスパンでものごとを見てしまったり

すっかりダメな人間になってしまってました。


むくわれなくても、評価されなくても、とにかく頑張る。

その姿勢を取り戻そうと、ここに決意したいと思います。