ゲド戦記

んあ 前言撤回、2巻と4巻がおもしろくないとか言ったのは馬鹿ですた。

ゲドのことばかり追っていたからそのように思えたんですね・・・ごめんなさい。


腰をすえて 2巻と4巻をよんでみると やっぱおもしろい。


ただいま5巻のおわり、次の ゲド戦機外伝が最後です。



んでよめばよむほど映画が原作どおりじゃないのに腹がたつ・・・。


http://www.ghibli.jp/ged/



こまかいところならまだしも、このあらすじ紹介の段階ですでにおかしいところがたくさんですからねぇ。


アランは影にはおわれてなくて、単におつかいの延長でゲドと一緒に旅にでてる、
テナーとゲドの感動(?)の再会は時期がおかしいし、
テルーは顔半分ケロイド状態で、そもそも声がうまくだせず、歌なんてうたえない・・・なんだよ、テルーの歌って・・。
それにテルーはあの町には絶対いないはず、位置関係がおかしい、それと年代、あのころテルーは6歳ぐらいの少女のはず・・・・。


んで無駄にはいる4、5巻のメインテーマ、人と竜の関係・・・。
あれをいれると絶対おわらないはずなのに・・・。


つーかテーマは「この時代をまっとうに生きる」でいいのかな?


おかしい・・


ゲド戦記は ファンタジー小説である上に社会小説でもあります。


たしかに生と死は物語上重要はといてはいますが、それは生と死の不思議な関係、ちょっと違いますが輪廻転生の死生観とかの問題の時に顕著になるだけ。
死生観がかなりオリジナルのもので、よみがえらせようと思えば 死者をよみがえらせれますし、不死も可能といえば可能です。
なので生きることはそこまで重要じゃないです。


んで、どこが社会小説かといえば、まず この物語の一番重要なところは 差別問題 だと思ってます。


この小説の主人公、ゲドは 黒人なんです。
つーか 黒人が この話の中では 主体国であり、白人 は 乱暴かつ野蛮な人種とされてます。

アメリカの作家がこんな時代設定をしたのはおどろきです。


ほかにも4巻は 女性差別、女性の地位向上、いわゆる フェミニズム(だっけ?)が顕著ですね。5巻の主人公のテナーは(あ、主人公は巻ごとに微妙にかわります、5巻なんて ゲドは最初にわずかにでてきただけですし)女であるための苦労の描写があちらこちらにみうけられます。しかも、テナーは いわゆる野蛮な国の出身で、村で一人だけ肌の色が違い、魔女 とかいろいろいわれます。

あと4巻ではテルーの役割も大きいですね。テルーは ならずものの子供に生まれて、5歳ぐらいのころに虐待され、火の中に捨てられます。そのため 顔半分はやけどによるケロイドでおおわれ、片方の目はふさがってみえず、火をすいこんだため普通にしゃべることができず、ましてや歌のような高度な言葉はしゃべれません。また片方の手はやけただれて指がくっつきかぎづめみたいな状態になっています。このやけどのあとのせいで、見行く人はこの子をさけ、化け物 と称します。

ゲドすらも「この子の将来にどんな自由がまっているのだ」とこの子の将来を悲観しますが、テナーはこのこを養い続けます。


4巻は この 外の人テナー と やけどの少女テルーの 生活の話です。


なのに・・・なのに・・・この映画ときたら、テーマをすりかえ、テルーを美化し、なんかむちゃくちゃです・・結末もこのままじゃかなりかえられそう・・・・・なんでここまで原作をねじまげたんですかね?


おもしろければ、客をひきつけれれば、客受けすればそれでいい・・・じゃないと思います・・・。